金井いづみプロフィール

1954年東京生れ。3才よりピアノを始め、4才より桐朋学園「子供のための音楽教室」に通う。

小学1年生でラジオ東京主催「音楽コンクール小学の部」で最優秀賞を受賞。小学校、中学校は晃華学園。桐朋女子高等学校音楽科を経て、桐朋学園大学音楽学部に学ぶ。ピアノを寺西昭子教授に師事。大学4年生の時「毎日音楽コンクール(現在の日本音楽コンクール)」入選。優秀な成績で同大学を卒業、卒業演奏会出演。

その後、ザルツブルク・モーツァルテウム音楽大学に留学、ライグラフ教授に師事。在学中「クルト・ライマー ピアノコンクール」第1位。ディプロマ取得、卒業後、同大学講師を務める。ソロ・室内楽でヨーロッパ各地で活躍。

1986年イタリア人ピアニスト、ニコラ・フリザールディとイタリア・アンドリアで結婚、夫君と連弾やザルツブルクでコンサートを主催するなど活発に活動。1989年12月、一人娘のフロリンダ・さくらちゃん誕生。

同時期、慢性骨髄性白血病を発病。演奏活動、音大講師を勤めながら、インスブルック州立医大病院、ザルツブルク州立病院、また名古屋第一赤十字病院に通院、骨髄バンクより骨髄提供者があらわれるのを待ちつづける。1995年夏、インスブルックにて骨髄の自家移植を受けるが、効果が長続きせず、同年暮より東京大学医科学研究所に転院。自ら、TVやキャンペーンに出演、骨髄バンクへの理解を呼びかける。

1996年3月末より一般病棟から準無菌室へ。5月に3週間、ヨーロッパへ里帰り、5月の新緑・小鳥のさえずり・小川のせせらぎを楽しむ。9月初めから完全無菌室へ、9月20日、いよいよ台湾からの提供者により、はじめて台湾─日本間の提携による骨髄移植を受ける。

さいごまで「私は大丈夫です」といいながら昏睡状態に陥り、11月5日永眠。


Ich glaube, daァ eines Menschen Gef殄l irgendwie doch weiter existiert, obwohl es ihn nicht mehr gibt; wenn Menschen sich so geliebt haben, reicht das Gef殄l ewig.

私は一人の人間の精神は、その人がいなくなってしまったとしても、なんらかのかたちで続いていくものだと;もし愛情があるならば、永遠にわたるものだと思うのです。

(いづみさんがさくらちゃんに書き遺した手帳より)